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夕張神社

ページID:0001184 更新日:2024年1月15日更新 印刷ページ表示

夕張市総鎮守

夕張神社の画像1
夕張神社の画像2夕張神社の画像3夕張神社の画像4

 1889(明治22)年の北海道炭鉱鉄道株式会社の設立ともに夕張炭山並びに鉄道敷設の安泰祈願のために当時の登川村夕張炭山字社光に神殿を築造したのが発祥。1894(明治27)年に北炭社長高島嘉右衛門が「神社の向きが鬼門の方向にあたるので縁起が悪い」と現在地近くへ移転させ、「登川神社」と称した。
 1902(明治35)年に現在地に拝殿が新築されたが、1921(大正10)年に全焼。2年後再建され、「夕張神社」と改称した。この際、北炭の優良石炭に感謝の念を抱いていた東郷平八郎元帥が北炭関係者に依頼され、揮毫した神額が奉納された。
1971(昭和46)年には太宰府天満宮より祭神・菅原道真公が分祀された。

御祭神

  • 大山津見神(おおやまづみのかみ)炭山守護・産業隆昌の神
  • 大国主神(おおくにぬしのかみ)開拓・むすびの神
  • 鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)商工隆昌の神
  • 菅原道真公 教育の神

夕張市指定有形文化財

夕張神社では、歴史的に非常に価値を持つ3つの市指定有形文化財を所有している。

登川神社木彫掲額

 1894(明治27)年に出雲大社から登川神社(現・夕張神社)へ寄進されたもので、当時の出雲大社大宮司の揮毫によるものを欅の材にトレースし、「登川神社」と彫刻され、文字を金箔で貼り付けた額である。

東郷平八郎直筆の書

 北炭の優良石炭に感謝の念を抱いていた東郷平八郎元帥が、登川神社が1921(大正10)年に焼失し夕張神社として再建する際、北炭関係者の依頼により揮毫し夕張神社に寄贈したもの。北海道と元帥との関係についての記録は皆無に近いと言われていることから、大変珍しいものである。

欅の大杯

 北炭は明治30年代から石川県輪島町の漆業者へ汁器類の注文を続けていた。
 その返礼として漆業者が5年がかりで制作し北炭へ贈り、その後北炭から夕張神社へ奉納されたものである。
 直径62.5センチメートル、容量21.6リットル。松竹梅に鶴亀を描いた輪島塗である。

施設データ
住所 夕張市住初6番地
営業期間 通年
営業時間 午前9時から午後5時まで
定休日 なし
料金 -
駐車場 なし
お問合せ

夕張神社
電話:0123-52-2339

ホームページ 夕張神社HP「ゆうばり神社」<外部リンク>
アクセス

[バス]
夕鉄バス「夕張神社」下車 徒歩3分
[車]
道道3号線「若菜」(交差点)を左折し、道道38号線に入り7分
道東自動車道「夕張IC」降車、右折し27分

各施設との距離

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